ボランティアは自分のためにも

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音訳ボランティアを続けてもう10年を超えました。

細々とやらせてもらっています。

これは音訳ボランティアに長年熱意を傾けてらっしゃるリーダーさんの存在が大きいです。

そして、色々な役割を分担してをこなされるメンバーさん(現在13名)に

支えられているからだと思っています。

目次

音訳ボランティアを始めたきっかけ

入退院を繰り返し休職中だった頃、ふと思ったことがあります。

「もしこのまま人生終わってしまうとしたら何に後悔するかなぁ」と。

その頃、子供らはもうそれなりに自立していたので、

ボランティア活動とかしてなかったことかなぁという答えがふわ〜と浮かびあがりました。

何がしたいという具体的な考えもないまま、復職して日々を過ごしておりました。

ある時職場で、漢字の読み違いをして恥をかきました。

自分の国語力の無さにかなり落ち込みました

その後しばらくして市報で「音訳ボランティア講座」というものを目にしたのです。

「ボランティアしながら国語の勉強ができそう!」と思い早速申し込みました。

音訳ボランティア講座を受ける

4回ほどの講習会でした。

音訳ボランティアについての説明から、声の出し方、アクセント、読み方などいろいろと教わりました。

その中でも一番心に残っているのは、視覚障害者の立場に寄り添えるための体験学習でした。

タオルで目隠しをし、街を歩き、買い物をし、買ったものを開けて飲食をするというものです。

ペアを組んで交代で行いました。

道路歩きでは、視覚障碍者のための凸凹をしっかり足で感じながら確認することができました。

トータルで30分くらいでしたが、真っ暗闇の世界で生きる厳しさをほんの少しでも知ることができ、大変貴重な経験をさせていもらったと思っています。

講習の終了と同時にすぐにメンバーに入れていただきました。

(今は、図書館等でカリキュラムに沿った講習を受けないと

活動はできないようです。)

音訳練習スタート

私の所属する音訳グループは、川柳雑誌「番傘」を音訳しています。

さすがに十数名の読み手で、全ページを音訳し編集まで行うのは難しいので、

この中からの抜粋になります。

活動の流れはこんな感じになります。


原稿配布 

リーダーが目次を作成。読み手の割り振りをする。

担当者が必要枚数のコピーをとり、メンバーへ郵送。


原稿チェック

読み手は原稿に目を通し、不明な箇所はできる限り下調べをする。

下読みの際、メンバーに聞いてもらえるよう読みの練習。

下読み

下読み会で自分の原稿を読み上げ、チェックを受ける。

録音

自宅または図書館録音室で、音声録音。

録音後、音声データを聞きながら、読み間違いの修正、雑音の消去、フレーズの結合等の整理作業。⏬

音声データを会で共有しているクラウドにアップする。

一校

予め決められた担当者が聞きながら校正する。修正箇所をメモし、この文書ファイルをクラウドにアップする。

二校

読み手が1回目の 校正の後修正した音声データを、二校担当者が校正文書を確認しながら聞いてチェックする。

編集

二校が終了して修正完了の各々のデータが全て揃った段階で、編集担当者が目次に合わせてひとまとめにする編集を行う。

デイジー校正

編集でまとめられたデータの最終的をチェックし、圧縮してCDにおとす。⏬

作成したCDを図書館に納めます。

その後CDはコピーされ全国の図書館に送られます

デイジーとはDAISYで、Digital Accessible Information SYstemの略です。日本では「アクセシブルな情報システム」と訳されています。

ここ数年来、視覚障害者や普通の印刷物を読むことが困難な人々のためにカセットに代わるデジタル録音図書の国際標準規格として、50カ国以上の会員団体で構成するデイジーコンソーシアム(本部スイス)により開発と維持が行なわれている情報システムを表しています。

障害保健福祉研究情報システムより

音訳は奥が深くて今も勉強中

音訳は上手に読むための練習以外に、読みについてのルールや、パソコンでの録音操作など、覚えないといけないことが山ほどあります。

すぐに習得できるものではないので、やりながら徐々に身につけていくという感じです。

今も音訳について、理解できていないことは多くあると思います。

けれど毎回、割り当てられた雑誌の一部を読むだけなのですが、川柳からの感動や学びがあることがとてもありがたいです。

最近掲載された 視覚障碍者さんの新聞投稿

先日朝日新聞の「ひととき」欄ににこんな投稿が掲載されました。

この投稿をいち早く目にしたメンバーの一人が、すぐグループラインにアップしてくれました。

代筆して頂いて投稿します。百間は一見にしかず。見ることができれば一目で全て理解できるのに、説明してもらうという煩わしさは、限りないものがあります。中途失明者のつらさと悔しさ。障害をもつ人がたくさんいることは分かるのですが、私には「見えない」きつさは比べようがありません。 簡単にできたことが全て奪われてしまいました。何をするにも人の言葉と手を頼らなければ動けない。これが老齢になって光を失った今の状態。落ち込む日も多く、友達に電話をして愚痴ってしまいます。 パラリンピックで活躍される方や、幼い時から特別支援学校で教育を受け、見えないなんて思えない障害者の方もいますよね。でも老齢になると何を練習してもなじめません。 ただそんな中で一つだけ、障がい者のための本の朗読に助けられています。それどころか多くの未知の世界を知る喜びに出会いました。「ありがとう」の連発です。かつて、小学生、中学生に絵本の読み聞かせに行ったことも思い出されて温かい涙があふれます。見えない、見えないと落胆ばかりしていましたが、幸せなことがたくさんあったと思い返しています。

この投稿は、7月に掲載され、その後女優の渡辺えりさんが「こころに残るひととき」として選ばれ、8月に再び掲載されました。

こちらでまたこの投稿者の方がコメントされていました。

「私はひとりではない」と感じられ救われるのです。と最後を締めくくっておられました。

何年経ってもアクセントのクセがなかなか治らず、下読みではいつも多く指摘され、パソコン操作にモタついてうっかり音声データ消去、、(泣)なんてこともありますが、続けていこうと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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